史上初の奇跡、J2名岐ダービー伝説

観客席が満員となった長良川競技場。FC岐阜選手のパフォーマンスも、いやがおうにも上がるというものだ。 © photograph by Takahito Ando 観客席が満員となった長良川競技場。FC岐阜選手のパフォーマンスも、いやがおうにも上がるというものだ。

「やっぱりこれが本物のダービーマッチだよね!」

 J2第35節のFC岐阜vs.名古屋グランパスの通称「名岐ダービー」直前。岐阜出身である筆者は、故郷の友人のひとりと興奮しながらそんな会話をかわしていた。

 今年2度目の名岐ダービー。

 岐阜にとって、カターレ富山との「東海北陸ダービー」、富山と松本山雅との3クラブ合同の「TOP OF 北アルプス」、ツエーゲン金沢との「白山ダービー」などなど……これまでFC岐阜がかかわる試合で「ダービーマッチ」と名付けたものは複数あったが、どれも岐阜にとって「本物のダービー」ではなく、申し訳ないがどこか商業的な匂いがしていた。極端に言えばチケット販売のために営業面から強引にダービーに祭り上げてきたようなものに見えた。

 だが、名古屋が相手となると話が違う。

 名古屋駅と岐阜駅はJRの東海道線の新快速を使えば、僅か18分。各駅停車でも25分程度と、隣接している。それゆえに岐阜はあらゆる面で名古屋と密接な関係にあり、それは対等というよりも、名古屋に従属するような立ち位置だった。

 ゆえに長年“名古屋の植民地”(あくまでも筆者の認識する感覚ですが!)として、揶揄されてきた岐阜にとって、名岐ダービーこそ「正真正銘のダービー」であり、岐阜のアイデンティティーをアピールする本当に重要な一戦となったのだ。

 だがこの名岐ダービー、岐阜側にとっては「絶対に勝ちたい一戦」だが、名古屋にとっては正直、ダービーマッチと思われていない。ある名古屋のサポーター曰く、「名古屋がJ2に落ちたから偶然実現したに過ぎない一戦」というほど、扱いの軽いものだった……。

岐阜サポーターは熱く、名古屋サポーターは平常心。

 名古屋のホームである豊田スタジアムで2017年3月4日に行われた名岐ダービー第1ラウンド(J2第2節)はその色が濃く出た。鼻息荒くモチベーションを高めた岐阜サポーターに対し、名古屋サポーターは至って平常――その温度差がまた岐阜側にとっては、このダービーを挑戦しがいのあるイベントにしていたのだ。

 そして迎えた10月1日、J2第35節となった第2ラウンド。場所はFC岐阜のホーム・岐阜メモリアルセンター長良川競技場。

 この一戦は第1ラウンドとは全く雰囲気が違った。

前売りの時点で、すでにチケット完売に!

 前売りの段階でチケットが売り切れるのはクラブ史上初。

 当日の試合は、キックオフ4時間前から長蛇の列ができ、クラブ史上最多の1万7027人もの観衆が押し掛け、岐阜側はもちろん、名古屋側もバックスタンド手前からメインスタンド半分近くまで赤く染まり、両チームのサポーター、ファンがすし詰め状態となった。

 当然、名古屋サポーターからすると、ダービーに関してはそれほど重視していない気持ちに変わりは無いが、別の特別な想いがあった。実は古くからの名古屋サポーターにとって、長良川は特別な意味を持つ場所なのだ。

ピクシーの大雨リフティングは、長良川だった。

 1992年のナビスコカップ開幕、1993年のJリーグ開幕からの老舗クラブである名古屋は、1993年から2001年に豊田スタジアムが完成するまで、岐阜を「準ホームタウン」とし、長良川競技場を準ホームスタジアムとしていたのだ。

 このスタジアムで、名古屋は数々の伝説に残る試合を繰り広げた。

 1993年6月26日のJリーグ・サントリーシリーズ第13節に清水エスパルスと対戦したのが物語の始まり。1994年9月17日のJリーグ・セカンドステージ(NICOSシリーズ)第11節のジェフユナイテッド市原戦ではストイコビッチが、大雨で水浸しとなったピッチを鮮やかなリフティングドリブルで切り裂いた。これはJリーグファンの間で今でも「伝説のシーン」として語り継がれている。

 だがこのスタジアム、1999年5月5日のJリーグ・ファーストステージ第11節の清水エスパルス戦で使用した以降、Jのリーグ戦では一度も使用していないのである(2003年の天皇杯、2015、2016年のプレシーズンマッチなどは除く)。

 1993年からのオールドファンである名古屋サポーターは、「やっぱり長良川競技場に来ると、Jリーグ創生期のことを思い出して、凄く懐かしい気持ちになる。沢入重雄やピクシー(ストイコビッチ)たちがスーパープレーを見せてくれたし、思い入れが深い場所。ここでJリーグをやるのはやっぱり感慨深い」と、古くからのファンの気持ちを語ってくれた。

岐阜は結局2-6で大敗したけれど……。

 岐阜と名古屋、それぞれの想いが交錯した「名岐ダービー」。試合は名古屋が貫禄を見せつけての6-2の圧勝で幕を閉じた。

 22分に岐阜が鮮やかな崩しから、DFの大本祐槻が先制。しかし、32分には名古屋MF田口泰士に見事なコントロールショットを決められ同点にされる。岐阜も連動性の高い攻撃を見せ、スタジアムを盛り上げるが、36分にシャビエルに逆転弾を浴びると、1-2で迎えた後半立ち上がり直後にシャビエルに3点目。さらに54分にもう1点追加されてハットトリックを達成されるなど、一気に試合を決定付けられた。

 食い下がる岐阜は66分に途中出場のFW難波宏明が1点を返し、名古屋に2点差と迫ったが、84分にMF青木亮太に突き放され、後半アディショナルタイムには途中出場のFW永井龍にトドメの一撃を浴びた。

 第1ラウンドを1-1で痛み分けしたお返しとばかりに、名古屋が圧倒的な個人技で差を見せつけての完勝に終わった。

「最高の雰囲気で、本物のダービーだった」

 しかし岐阜にとっては、結果だけでなく、このダービーを長良川競技場で行って、スタジアムを満員にしたことに大きな意義がある。

「今まで感じたことがない感覚だった。あそこまでホームとアウェーがくっきりと別れているスタンドは岐阜に来て初めて見たし、チャンスのときの歓声や、取られたときの落胆の声など、プレー1つ1つに対する反応が凄く良く鮮明に聞こえた。最高の雰囲気で、本物のダービーだと思った」(MF風間宏矢)

 これまでになく大いに盛り上がった名岐ダービー。岐阜にとって、この街にJクラブがあって良かったと心の底から思える一戦だった。

 地方の小都市にとってJクラブは、地元の人たちが1カ所に集い、そこで生きがいと誇りを感じられる場所であるべきなのだ。そういう時間と場所を多くの人達と共有することができるようになれば、その時初めてJクラブは「おらが街のクラブ」となるのだ。

 J2に昇格して10年目。岐阜県社会人リーグ参入からのスタートを入れると17年目。今回の名岐ダービーがFC岐阜史上最大の「お祭り」となったと実感できて、本当に嬉しかった。

岐阜県出身者が力を合わせてクラブを盛り上げる!

 筆者は岐阜県内の保育園、小、中、高校を経て、大学で4年間名古屋に住み、大学を卒業すると岐阜の地方銀行に就職。この地域で数年を過ごした。高校時代から名古屋のサポーターとなり、会社を辞めてサッカージャーナリストとなった時も、スタートは名古屋担当から始まっていたし、FC岐阜に関して言えば、そのチーム立ち上げから関わってきた。

 冒頭で登場した故郷の友人というのも、実は名古屋の元名物広報でもあった。岐阜県出身の彼、林幹広は、2001年に名古屋のクラブ職員となり、2004年から広報を務めた。そこから4年間、広報としてクラブの窓口となったが、2007年シーズンでFC岐阜のJ2昇格が決まると、「故郷の岐阜のために力になりたい」と2008年1月に「移籍」し、岐阜のクラブ職員となった。

 名古屋で培ったノウハウを活かして広報に就任すると、昨年までの9年間、広報のトップとして活躍。今年1月からは、地域振興グループサブリーダーとしてクラブに貢献し続けている。

「試合のかなり前の時間から『ダービー』という雰囲気が試合会場周辺からも出ていた。1週間前からチケット売り切れという状況になって、それ以降も『どうしても観たい。追加の発売はないか』という問い合わせが殺到してましたし、当日までそれが続きました。

 その想いはスポンサー企業の皆様も一緒で、やっぱり名古屋戦に対する特別な想いというのがあって、多くの人がこのダービーを待ち望んでいたのが実感できました。もちろん勝てば最高だったのですが、実際にこういうダービーでお客さんが満員になって最高の雰囲気で試合ができたことは、スポンサー企業さんにとっても誇らしいことだと思います。本当に意義ある1日でした」(林)

 10年前は60社しかなかったスポンサー企業も、今では210社以上に増え、クラブは県内全域の多くの企業が支えてくれる存在にまでなった。「一部のサッカー好きの人たちの夢」だったFC岐阜は、J2昇格10年目を迎え「岐阜県の夢」になろうとしている。

名古屋のファンから岐阜のファンへ変わる人も出てきた。

「多くの人がFC岐阜のホームスタジアムとしての長良川競技場の雰囲気や、周辺のサービスを感じてもらって……名古屋から岐阜へのサポーターへ乗り換える“スイッチング”が多少起こるんじゃないかと期待をしています。

 今日は大学の調査機関も入れていて、『これから岐阜の試合も観に行っても良いな』と思う人たちを引き込もうとしています。試合前と試合後に名古屋の大学の教授方と一緒にそのスイッチング現象がどこまで起こるかを、具体的に調査したんです。ダービーはそれの重要なチャンスだと思うので。そのデータを今後の活動に反映させていこうと思っています」(林)

「いつかFC岐阜の試合で満員にしたいと思っていた」

 試合後、岐阜駅前の繁華街では、FC岐阜のユニフォームを着たサポーターと、名古屋のユニフォームを着たサポーターがお酒を飲んだり、話しながら歩いたりと思い思いの時間を過ごしていた。

 サッカーのある日常、そしてJクラブがある街。そこで生まれたダービーマッチは多くの人たちに幸せをもたらし、おらが街の自覚を芽生えさせて、それが地域愛に繋がっていく――。

「当時はJリーグブームもあって名古屋の試合だと、長良川競技場は常に満員で、学生だった私もその中にいた。いつかFC岐阜の試合で満員にしたいと思っていたけど……ついに、それが叶った。だからこそ、次の目標に向かって突き進みたい。FC岐阜がもっともっと岐阜県で定着するように」(林)

 林の最初に抱いた夢は、10年経ってついに結実したのだと思う。そして、さらに次の流れを生もうとしているように感じた。次は、FC岐阜でどんな夢を思い描くのか……。

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