中邑真輔が近づく史上初のWWE王座

WWEのブタンでトップレスラーの一員となった中邑。ベルトを獲得すれば、日本人レスラー前人未到の快挙となる。 © photograph by Getty Images WWEのブタンでトップレスラーの一員となった中邑。ベルトを獲得すれば、日本人レスラー前人未到の快挙となる。

 中邑真輔による、日本人レスラー初の快挙がいよいよ現実味を帯びてきた。

 9月16日、エディオンアリーナ大阪で行われた、世界最大のプロレス団体WWEの日本公演で、3度目の凱旋をはたした中邑真輔は、メインイベントで王者ジンダー・マハルとWWE世界タイトルマッチで対戦。マハルのセコンド、シン・ブラザーズの乱入に気を取られた隙にフォールを奪われ王座奪取はならなかったが、この“結果”自体に大きな意味はない。

 マハルと中邑のWWEタイトル戦は、先のビッグイベント「サマースラム」(8月20日、ニューヨーク州ブルックリン・バークレイズセンター)と同一カードであり、今回はいわばその“ロードショー版”。

 中邑が日本公演の“ご当地レスラー”として、この日限定で抜擢されたわけではなく、WWEのツアーにおいてトップを張り続けているという事実こそ、注目すべき点だ。

'74年12月、ジャイアント馬場が初めてNWA王者奪取。

 そして、このマハルvs.中邑の因縁のタイトル戦は10月8日の「ヘル・イン・ア・セル」、さらに11月25日「スターケード」という、ビッグマッチでの対戦がすでに決定済み。この2大会のいずれかで、中邑がWWE王座を奪取する可能性は極めて高いと言える。

 そうなれば、中邑は史上初の日本人WWE世界王者となるだけでなく“本当の意味で”初めて、米メジャーを制した日本人レスラーとなるのだ。

 これまで日本人で世界のメジャータイトルを奪取したレスラーといえば、まず最初に挙がるのは、ジャイアント馬場のNWA世界ヘビー級王座奪取だろう。

 馬場は、'74年12月に鹿児島でジャック・ブリスコを破り、日本人として初めて、当時「世界最高峰」と呼ばれたNWA世界王座を獲得。その後、'79年10月(名古屋)、'80年9月(佐賀)にもハーリー・レイスを破り、計3度NWA世界王者となっている。

 しかし、この3度の戴冠は、すべて1~2週間後にリマッチで奪い返される超短命政権に終わり、馬場が世界王者としてアメリカ本土で試合をすることは一度もなかった。

名前を“消された”猪木、名前を残した鶴田。

 馬場のライバルであるアントニオ猪木は、現在のWWEの前身であり、当時“世界3大王座のひとつ”としてNWAと並び称されたWWFヘビー級王座を'79年11月に徳島でボブ・バックランドを破り獲得している。しかし、同年12月のリマッチが無効試合に終わり、猪木がタイトルを返上するとその事実はうやむやとなり、現在WWE歴代王者の公式レコードから猪木の名前は消えている。

 馬場と猪木の王座奪取は、アメリカプロレス界にとっては遠い日本で一瞬だけ起こった出来事であり、両者ともに事実上“日本限定の世界王者”だったのだ。

 '80年代に入り、米メジャーの世界王者としてアメリカマットで試合をするという、馬場や猪木もできなかったことを成し遂げたのが、ジャンボ鶴田だ。

 鶴田は'84年2月に蔵前国技館でニック・ボックウィンクルを破り、当時の世界3大王座のひとつAWA世界ヘビー級王座を獲得。その後、同年5月にセントポールでリック・マーテルに敗れるまで、本場アメリカで防衛サーキットを行なった。戴冠期間は3カ月弱のショートリリーフ的な世界王者ではあったが、アメリカ本土で複数回のタイトル防衛戦を行った日本人は、現在に到るまで鶴田ただ1人の偉業だ。

 なお、AWA世界王座は'90年2月に新日本の東京ドーム大会で、マサ斎藤もラリー・ズビスコを破り獲得している。この時、AWAはすでに規模を大幅に縮小しており、ベルトの価値もインディー団体のそれと同等となっていたが、日本のファンにとって「AWA世界王座」というブランドが持つ“響き”は根強く、マサ斎藤が勝利した後は、ドームで初めてウェーブが巻き起こるほどの盛り上がりとなった。

フレアーと対戦した藤波は2015年に王座認定。

 鶴田のライバルとも言える藤波辰爾も、世界王者として米メジャーでタイトルマッチを行った経験がある数少ない日本人のひとりだ。

 藤波は'91年3月21日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、IWGP&NWAダブルタイトルマッチとしてリック・フレアーと対戦。グラウンド・コブラツイストで勝利し、NWA世界ヘビー級王座を奪取したが、試合中にオーバー・ザ・トップロープの反則があったとして、フレアーは王座移動の無効を主張。

 同年5月19日に米国フロリダ州でのWCWビッグマッチで再戦が行われ、この時はフレアーが勝利したため、藤波のNWA王座奪取は幻に終わったものと思われた。しかし、2015年に藤波がWWE殿堂入りした際、あらためて'91年3月の王座獲得が確認され、現在は正式レコードとして認められている。

蝶野、ムタ、橋本、小川らもNWA王座を手にしたが。

 '91年の藤波vs.フレアー後、NWA世界ヘビー級王座はWCW世界ヘビー級王座と改称されその名は封印されたが、'92年8月にWCWの提携団体だった新日本プロレスで行われた第2回の「G1クライマックス」がNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントとして行われ、優勝した蝶野正洋が復活したNWAヘビー級世界王者に認定された。

 さらに翌'93年の1.4東京ドーム大会で、蝶野を破ったグレート・ムタ(武藤敬司)も歴代王者に名を連ねたが、この時点において管轄団体のWCW最高峰のベルトは、あくまでWCW世界ヘビー級王座であり、復活したNWA世界ヘビー級王座は、提携先の新日本を中心に防衛戦が行われる、インターナショナルなセカンドブランド。かつて“世界最高峰”と呼ばれたNWA世界王座とは、すでに意味合いが違うものとなっていた。

 その後、NWA王座はWCW管轄を離れインディー団体のベルトとなり、'99年に小川直也、2001年には橋本真也が腰に巻き、2014~'15年には小島聡や天山広吉も王者となっているが、まだ誰も本当の意味で世界を制してはいないのである。

 2001年にWCWを買収後、WWEは文字どおり世界最高峰となったが、その看板タイトルである、WWE王座とWWEユニバーサル王座を獲得した日本人はまだ誰もいない。中邑真輔は、いまそこに王手をかけているのだ。

 かつてプロレスは、ローカライズされたスポーツエンターテインメントだった。しかし、全世界ネット配信が当たり前となった現在、もはやそこに国境はない。

 近い将来実現するであろう、中邑のWWE世界王座奪取は、中邑自身の快挙であると同時に、日本のプロレスが世界で通用する証明ともなる。

 時代が変わる瞬間を、ぜひその目で見届けてほしい。

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