トヨタ社長、創業家御曹司の憂鬱

 トヨタ自動車は2016年4月、経営の意思決定の速度を向上させるため、巨大な組織を7つのカンパニーに分割した。狙いは身軽な組織による即断即決化だ。トヨタ自身の説明によれば、従来「“ソリューション”で分かれていた組織を“オポチュニティ”で切り分け直す」ことにした。

●大企業病を打ち破れ!

 トヨタの言い方は分かりにくいので、もう少し具体的に説明しよう。単純化した言い方だが、例えば、1台のクルマを作るとき、普通は、商品企画→設計→生産→販売計画のような流れになる。仮に商品企画に無理があったとき、これがおかしいと気付くチャンスは最悪の場合、販売計画時点であったりする。あるいは、もっと単純に設計が起こした図面が、生産で実現できないことが発覚したりもする。

 実際にはそこまで間抜けなことにはならないまでも、間抜けな事態を予防するにはいちいち上流から下流まで全部のチェックが必要だ。それは膨大な手戻りを呼ぶし、時に妥協やすり合わせで解決しなくてはならないことになる。企業の決定と実行に関するレスポンスを削ぐことになっているのだ。

 仮に、関連する全部署から、少数精鋭を選抜して商品企画の会議に最初から参加させていれば、いちいち完成プランに持っていく前に是正できる。商品企画に設計や生産や販売計画の知恵がリアルタイムで反映できることになる。トヨタが狙うカンパニー制の効果とはこれで、単純な時間短縮だけでなく、製品レベルの向上にまで寄与することを目指している。「阿吽(あうん)」という言葉があるが、巨大化した組織をもう1度「阿吽」で動く組織へと変えていこうというのが狙いだ。

 大まかに言えば、例えば車種に携わるチームを縦串で束ねて、「プリウスチーム」や「クラウンチーム」にするわけだ。前述したように、商品企画チーム、設計チーム、生産チーム、販売計画チームのような横串でやるよりも、部署間の都合に振り回されにくく、1台のクルマにフォーカスしやすくなる。

 さて理念は理念としながら、トヨタはそれを究極のところまで一気には煮詰めない。トヨタの面白いところは現実的なところだ。昨年のカンパニー制の発表内容を見たとき、先進国向けの第1トヨタと新興国向けの第2トヨタが相変わらず残っていることに少し違和感を持った。これは地域別ビジネスユニットという考え方で、どちらかと言えば横串的だ。車種にフォーカスし、そこにエネルギーを集約する形とは少し違う。本来は販売すべてを統合するか、車種ごとに分割して他のカンパニーの部分機能にするかになるはずだ。

 トヨタは縦串に変えるために無理やり理想で塗りつぶさない。できる部分とできない部分に1度切り分け、できない部分にはいったん目をつむる。その上で、準備が進んでから段階的に切り替えていく。17年3月、トヨタは再び組織再編を行い、第1・第2トヨタを束ねて「事業・販売ビジネスユニット」に統合、再編した。

●創業家御曹司の憂鬱

 そしてもう1つ、予想外の部署が新たなカンパニーとして加えられた。それが「GAZOO Racing Company」(GR)だ。そもそもGRの語源は「画像」である。20年前、当時営業地区担当課長であった豊田章男氏が中古車流通のシステム改善を目指して開発した「中古車画像システム」の名前である。下取り車を最速で販売ルートに上げることを目指したこのシステムは、単に画像だけでなく、リアルな中古車の再商品化システムの改善も同時に進めるものであった。

 「トヨタ生産方式」をベースにして、流通の無駄を削減することを目指した、当時としては画期的なこのシステムは、トヨタ内部の強い反発に遭った。「画像でクルマが売れれば苦労はない」「メーカーの理屈を販社に持ち込んでも通用しない」。まだインターネットの普及は黎明期で、ネットの情報を活用してビジネス化するという概念が受け入れられにくい時代でもあった。

 そして当時も今も、豊田章男氏の創業家のプリンスという肩書きは、それ自体が崇拝と反発の両面を生み出す。その逆風は、画期的な中古車画像システムに「トヨタ」の名前を使うことを許さなかったほどだ。やむなくそのシステムはGAZOOを名乗った。

 かつて豊田社長がテストドライバーの成瀬弘氏から「運転の分からない人にああだこうだと言われたくない」と拒絶され、運転の教えを請うために弟子入りした有名な逸話がある。さまざまな話を聞く限り、豊田章男という人は必ずしも世渡りの器用な人ではない。多くの抵抗とぶつかりながら、例えば「運転がうまくなる」という独自の方法論によって、周囲を説得して話を聞いてもらえる土壌を作り、少しずつ統率を信任させてきた人だと思う。

 しかし大トヨタという組織での反発はそう生半可なのものではない。後にニュルブルクリンクのレースを始めたとき、トヨタの名前を使うことはおろか、豊田章男と名乗ることさえ許されなかった。「モリゾー」という名前はそうした中で付けたドライバーネームである。

 これらの話を、豊田章男派とアンチという単純な絵柄にまとめる気はないが、それぞれの信じる正義がぶつかり合う中で、創業家を名乗る豊田社長は一方の象徴にされやすい。自らの信奉する改革を押し通し、実現させていくには力がいる。恐らくGAZOOとは豊田章男の力の源泉として機能してきたはずだ。

●GAZOOのクルマづくり

 GAZOOは改革の本拠地として機能してきた。例えば一昨年、トヨタの大改革として打ち出された「TNGA(Toyota New Global Architecture)」もその詳細な説明が最初に行われたのはGAZOOのサイトである。中古車画像検索システムに端を発したGAZOOは、トヨタのファクトリーチューニングカーであるG'sブランドでクルマ作りにも乗り出した。

 G'sはあのエアロパーツと扁平タイヤで装ったコスメティックカー然とした外観にそぐわず、乗ってみると実に良くできたクルマだった。筆者はトヨタ全車がG'sになれば良いと、当時も今も思っている。できれば外観は素のままで。

 なぜG'sがそれほどまでに良かったかと言えば、クルマの骨格となるシャシーからしっかり手が入れられているからだ。例えば、ノア。5ナンバーミニバンであるノアは乗降性のために床板を薄く低くしたい。しかもバリエーションによっては4WDやハイブリッドの臓物を納める必要があるために床下の場所取りの競争率がとてつもなく高い。だから邪魔な燃料タンクを車両左側に薄く長く配置した。しかも樹脂ではなく金属製だ。これをボルト止めした結果、斜交いのように作用して左半分だけ剛性が上がり、シャシーの左右の剛性バランスが変わってしまった。G'sではこの剛性のバランスを是正するために右側の床下につっかい棒の補強材を配置し、左右の剛性を合わせるチューニングがされている。

 スポット溶接も増やされた。必要な場所にスポットを増し打ちすることで乗り心地もハンドリングも向上する。真面目で手間のかかる対応だが、クルマは確実に良くなる。そこには1つの疑念がある。そもそもなぜノーマル車のスポットが省かれているのか? その理由がコストダウンであることは誰でも分かるが、性能とトレードオフしてまでそこでコストを追求する意味が分からない。トヨタのエンジニアに食い下がってようやく聞き出したのは、バブル崩壊の後遺症だった。1990年にバブルが崩壊した後、自動車メーカーは一斉にコストダウンに走った。その中で「スポットをどれだけ減らせるか」という、今から考えるとバカバカしい競争が行われた。

 それを反省し、スポット減数と引き替えに失われた性能を取り戻すために、G'sはスポットの増し打ちに取り組まねばならなかった。G'sがやはりトヨタの遺伝子を持っていると思わざるを得ないのは、そのスポットの打ち位置をすべてデータベース化していたことだ。今では鍼灸に使うツボの一覧表のように、どこにどうスポット溶接を打つと、どういう症状が治るかが一覧表になっているという。

 このツボ一覧表はすでにトヨタの開発陣全体の資産となっており、新型車の設計にツボ表は広く取り入れられている。「最近の新型車は図面を見てもスポットを打つ場所がもうないんですよ」とGRのエンジニアは笑う。しかしG'sで取り組んできたことが現在のトヨタの「もっといいクルマ」にすでに大きな影響を与え始めているということでもある。

●9車種11モデルという大量投入

 そうした功績をひっさげて、GAZOO Racingは、トヨタのカンパニーへ昇格したわけだ。そしてブランドの再構築が行われた。トヨタはGRをスポーツカーブランドと位置付けた。ベンツにおけるAMGや、BMWにおけるMスポーツのようなものとして、新たに「GR」ブランドに再構成したのである。GRブランドは4つの階層に分かれる。

(1)エンジン

(2)ドライブトレーン

(3)ボディ&シャシー

(4)専用デザイン

 これらすべてを盛り込んでトヨタにもここまでできると主張するのが頂点に位置する「GRMN」。(2)以降を取り入れた量産型スポーツモデルが「GR」。(3)と(4)を備える「GRスポーツ」。最後にオプションパーツ群として、ユーザーがチョイスして装備できる部品群としての「GRパーツ」がある。ここまでたびたび登場したG'sは「GR」と「GRスポーツ」に分割されてG'sの名前はなくなる。

 カンパニー化と同時にリニューアルされたこの「GR」シリーズは、インパクトを狙って9車種11モデルがアナウンスされた。すでにリリースされているモデルもあれば、来春リリースのモデルまであるが、11モデルという物量作戦に力の入れ具合が見て取れる。

 筆者はプロトタイプを含むこの11モデルと比較用のベース車両を袖ヶ浦フォレストレースウェイでテストしたが、G'sの伝統を受け継ぎ、全体としてそのでき上がりは納得のいくものだった。特にベース車両のできがお粗末なアクアまでがあれだけの仕立てになるのかという点については驚かされた。逆に車両重量が重すぎてサーキット走行ではいかんともしがたかったのはマークX。「FRだから」と期待すると残念な結果になる。

 筆者の印象ではヴィッツはGRシリーズ全モデル素晴らしかった。限定のGRMN(プロトタイプ)もGRもGRスポーツも走っていて十分以上に楽しい。それ以外では、GRシリーズの意義として挙げられるのはノア系だろう。クルマ好きの人であってもライフステージのいかんによって、どうしてもミニバンをチョイスしなければならない時期もある。もちろんヴィッツと同等に走るかと言えば、物理法則には抗えないが、それでもノアのGRスポーツはサーキットですら楽しめる余地が残っていた。

 筆者はトヨタに提案がある。例えばヴィッツのGRスポーツは、欧州製の小型車を選ぶ人にも、ハンドルを握ってみれば「おっ!」と思わせるだけのできになっている。しかしながら、あのエアロと大径ホイールという出で立ちでは、そのあたりのユーザーにとってはハードルが高すぎる。

 かぶき者的スタイルが格好いいと言う層もいれば、オーバーデコレートは格好悪いと思う層もいるのだ。スポーツを極めることを目標としたGRMNは別だろうが、GR以下、特にGRスポーツが琴線に触れる層には、細いタイヤ+小径ホイールの方が理知的だと思う顧客層が確実にいる。もちろん内装にも赤いステッチや加飾はいらない。地味で普通で構わない。というか、そういう普通さが嬉しいのだ。例えばフォルクスワーゲン・ポロのガチンコのライバルとして各媒体がヴィッツGRスポーツを取り上げるのが当然というところを目指してみるべきだと思う。

(池田直渡)

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