女性を勇気づけた伊達公子の生き方
女子テニスの元世界ランキング4位、伊達公子(46)が28日、自身のブログで“2度目”の現役引退を発表した。9月7日に記者会見し、同11日開幕のジャパン女子オープン(東京・有明テニスの森公園)が最後の大会出場となる。世界トップクラスだった1996年に一度引退。2008年4月に37歳で現役復帰し、09年には13年ぶりにツアー優勝を果たしたが、最近は昨年2月と4月に左膝の手術を受けるなどケガに悩まされていた。「ひとつの時代」の終焉を思わせる一方、彼女はアスリートのみならず、日本の女性の生き方に大きな影響を与えてきたのだと改めて思う。(飯田絵美)
初めて伊達を取材したのは1994年、全豪でベスト4に進出し日本選手初の世界ランキングトップ10入り(9位)を果たした頃。シュテフィ・グラフやモニカ・セレシュらが煌めく女子テニスの黄金期で、沢松奈生子、杉山愛、長塚京子ら日本女子選手も躍進する中、そのトップをひた走る伊達は孤独だった。
他の日本選手がマスメディアと気軽に話し、ジョークを交わし、ときに食事を楽しんでいたのに対し、伊達は極力メディアとの関わりを排除していた。試合後の記者会見になかなか現れなかったり、質問への回答もそっけないことが多かった。
自分の集中を妨げる存在はすべて排除する。そんな彼女の完璧主義も関係していたと思う。ピリピリと張り詰めた空気は、同じ頃米大リーグで活躍した野茂英雄投手とダブってみえた。2人には、後進の日本人選手たちに海外で活躍する道を切り開いたパイオニアという共通点があった。
同時に、素顔はとても女性らしい。日本の米や食材を用意してホテルの部屋で自炊。試合前、自分で作ったおにぎりをほおばった。当時ツアーで最も年下の日本女子選手だった杉山の練習に付き合ったり、遠征先で行きつけの飲食店に連れて行ってあげる“良きお姉さん”でもあった。
1996年に25歳で一度目の引退。日本テニス協会の要職に就くことを断り、子供にテニスを教えるプロジェクトを世界各地で開催した。2001年12月1日にはドイツ人レーシングドライバーのミヒャエル・クルムと結婚している。
完全に戦いの場から身を引いていただけに、08年の37歳での現役復帰には驚いた。彼女が第一線に戻るため、体力や技術面ですさまじい努力をしたであろうことを想像し、同世代として頭が下がった。同時に彼女の挑戦は“あること”を気づかせてくれた。
「『一度仕事を辞めたら二度とその場に戻れない』という決まりはないんだ」。「年齢にとらわれず、自分のやりたいことをやっていいんだ」。そう勇気づけられた人、特に女性は多かったはずだ。
20代で結婚して寿退社、専業主婦となって30代の間に子供を産む。それが「女性の幸せ」と考えられていた時代に、伊達の生き方は、女性の人生の選択肢を増やし、「自分の幸せを定義するのは自分なんだ」と示してくれたと思う。
それだけに、子を授かることができない苦悩を打ち明ける姿をテレビ番組で見たときは、脳天を殴られたようなショックを受けた。母になることを切に願った彼女の苦しみが胸に迫った。昨年9月にはクルムとの離婚を発表している。
伊達が20代の頃は、マスメディア嫌いの彼女のことを、こちらも快くは思えなかった。しかし同性の同世代として年を重ねていくうちに、励まされ、勇気をもらっている自分に気づいた。
「2度あることは3度ある」ともいうが、果たして次はどんな選択で、人々の予想を裏切ってくれるのだろうか。
