甲子園の他にも 球児の人生決める8月

高校野球からそのままプロ入りする選手は、育成契約を除けば2016年ドラフトでは40人に満たなかった。大学は大切な受け皿なのだ。 © photograph by Yuki Suenaga 高校野球からそのままプロ入りする選手は、育成契約を除けば2016年ドラフトでは40人に満たなかった。大学は大切な受け皿なのだ。

 8月の高校野球は“甲子園”だけじゃない。

 惜しくも7月の地区予選で敗れた高校チームは2年生、1年生で「新チーム」を結成してすでに練習に練習試合を重ね、秋の大会のさらに向こうに来春の「センバツ」を仰ぎつつ、汗を流す毎日だろう。

 ならば夏で現役を退いた3年生たちは、今ごろどうしているのだろうか。

 “勝負野球”は高校まで。卒業したあとは、行った先で楽しみとしての野球を……と考えている者たちは、高校最後の夏休みをそれぞれに、思うままに過ごしているだろう。

 一方で、進学した先でさらにハイレベルの野球にガチで取り組んでやろう! と心に決めている者たちには、予選のあとの8月にもう1つの戦いが待っている。

 学生野球への登竜門、いわゆる「セレクション」というやつだ。各大学の野球部が、来春の入部希望者を対象にして行なう練習会である。

 前回このコラムでお伝えしたように、大学野球部には、3年夏の時点ですでに“当確”になっている高校球児がいる。そしてそのほかにも「我こそは!」と野球部の門をたたく高校球児が大勢いる。

 そんな若き“野武士”たちが一堂に集合し、監督さんほか野球部に関わる人たちの前で、3年間磨いてきた腕を披露するのだ。

ひとりの青年の方向性が決まる8月なのだ。

 当然そこには採点と評価があり、その向こうに結果がある。

「ぜひ、本学へ……」「ほかは受験しないでいただきたい……」。そんな回答を得た者は内々定となるが、反応を得られなかった者は、次の進学先候補のセレクションにまわることになる。

 進んだ大学で人生の方向を見つける。よくあることである。

 失敗を環境のせいにする。これもよくありがちな風景であろう。

 いずれにしても、ひとりの青年の一生の方向性が定まる8月なのだ。

遠投120mが75mに負けることもある。

 朝のアップが終わるとすぐに、遠投と50m走が始まる。ここで基本的な身体能力が計られる。

「一応、遠投100mっていうのが、一般的な強肩の境界線になってますが、ウチはそんなふうには考えない。120mが75mに負けることもありますよ」

 身体能力は決して数字じゃない。学生野球のあるベテラン監督が、以前そんな話をしてくれた。

「距離を稼ごうとしてボールを高く上げて、放物線で120m投げてくれたって、私、ちっともありがたくない。そんな場面、野球の実戦の中にありますか? それなら、いつでもカットできる高さで75m投げられるヤツのほうが、絶対役に立つ。内野手にしたって、外野手にしたって、低い角度でライナーの軌道でどれぐらい放れるのか。それが肝心でしょ。自分の肩を見てもらうのにボールを高く上げるヤツ、人間的センスを疑うね」

 最近は、午前中の体がまだフレッシュな状態の時に守備を見て、それからバッティング。その間に、投手はブルペンでピッチング。食事をはさんだ午後イチからシートバッティングの形式でバッティング、フィールディング、ピッチングの実戦力を見て終了。

 おおむね、そんな段取りになっていることが多い。

基準は人間性、家庭環境、野球の好きさ。

「セレクションは初めて会う選手が多いので、僕はその選手の人間性とか、ここまでの野球的ヒストリーみたいなところに興味があるんです。どんな家庭で育った子なのか、普段どんな練習をしている野球部なのか、どれぐらい野球が好きなヤツなのか……そんなことを、いろいろ想像しながら見てますね。それで、面白いなと思った子には声をかけてみる」

 今日は監督さんと来たの? と、それとなく訊いた時、「はい!」と元気よく答えたあとに、「新チームの練習もあるのに、自分なんかのために……。ありがたいっす」と、ネットの向こうで見守る監督さんをチラッと見やってから答えた選手がいた。

 それほど目立った技量の選手ではなかったが、即決で推薦を決めたという。

「その選手自身の人間性にも打たれたんですけど、それ以上に、その高校の野球部の監督と選手の関係が“見えた!”と思ったんです。やっぱり、3年間健全に育った選手に来てほしいじゃないですか」

 試合を見ていると、そのチームが普段どんな練習をしているのかが見えてくる。そういうチームは「いいチーム」だという。

自分の守備を見せているか、他人の守備を見ているか。

 同様に、その選手のプレーを見ていると、その選手の“日常”が見えてくる。そういう選手は、こちらからお願いしても来てほしい。

 その監督さんは、そんな表現をしてくれた。

「面白いんですよ。たとえば、守備力を見るのにシートノックをやるじゃないですか。甲子園でいくつも勝ってちょっと有名になってる選手って、自分が打球をさばいているところを他の選手に見せている。そんな感じで、人のプレーはほとんど見ていない。逆に、人のフィールディングをジィーッと食い入るような目で見ている選手が、たまーにいる。こういう選手を探すんです、僕は。もっと上手くなりたい、上手いヤツって自分とどこが違うんだ……そういう“飢えた”感じの選手。今はなかなかいませんけどねぇ。でも、たまーにいるんです」

上手く見えることと、心をつかむことは同じではない。

 どうしてあんなに歌の上手い人が売れないのか。芸能界には、そうした現象がいつもあるという。

 一見上手く見えたり、聴こえたりするのだが、なぜか見る者、聴く者の心を打たない。

 ひとつの技能に、人の心をぐっとつかんで放さない“説得力”を持たせるには、果たしてどうすればよいのか。

 真夏の炎天下。最後の夏も終わったのに、あいかわらず汗と泥にまみれて奮闘する高校3年生。そんな学生野球のセレクションのひと場面に、その答えのようなものが潜んでいるのかもしれない。

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