防空壕3年ぶり公開 暗さと狭さ体験
戦後72年の夏を迎え、旧軍が山形県東根市神町地区の若木(おさなぎ)山に建設した県内最大規模の防空壕(ごう)が14日、3年ぶりに一般公開された。海軍航空隊が置かれた神町は終戦間際の1945年8月9日以降、米軍機の空襲を受けている。防空壕には兵士や付近の住民100人以上も避難し、内部はすし詰め状態になったという。訪れた参加者は「狭さと暗さに衝撃を受けた」と驚いていた。【野間口陽】
主催した若木山防空壕保存会(高橋浅十会長)によると、一般市民用ではなく、弾薬、燃料などの保管用だった。舞鶴海軍航空隊が移駐してきた翌年の44年から工事に着手し、徴用された民間人も動員された。
計16の壕と施設で複合的に構成された大規模なものになるはずだったが、東壕▽西壕▽電話交換室▽弾薬庫のみが完成した。終戦後には進駐した米軍が倉庫として、完成済みの部分に補強工事を実施。95年の戦後50年を契機に現存部分の一般公開が始まったという。
この日は気温30度前後の暑さとなったが、防空壕の内部は17度ほどに保たれていた。ひんやりとし、コンクリートの壁面からは地下水がしみ出している。軍の施設とあって、天井高は高い所では約4メートルにもなる。天井部分の一部には銃眼がうがたれ、来襲した敵機を銃撃できるようになっていた。
夏休みを利用し、県内の親戚の家を訪れていた神戸市の会社員、池上大介さん(41)は「初めての体験で、衝撃だった。このようなものが必要な状態だったこと自体、怖さを感じる」と話した。妻と2人の参加で、子供も体験させたかったと惜しんでいた。
保存会の高橋会長は神町への空襲当時、13歳だった。防空壕内で爆撃が終わるのを待ちながら「航空隊はなぜ反撃しないのかと疑問に思った」。数日後に終戦を迎え「日本はやられっぱなしで、飛行機も飛べなかったのだろうと気づいた」と振り返る。15日の一般公開は午前9時~午後4時。地元の貴重な「戦争遺跡」を通し、平和について考えてほしいという。
