ローマ&ミランにトルコ人若武者君臨
© photograph by Getty Images 世代別代表を経験してきたウンデルは'16年11月にA代表デビューも果たしている。佳境を迎えるCLでも台風の目になれるか。
突拍子もないことや予期せず起きてしまったことを伝えたいとき、イタリア語には「トルコ人の仕業だ(=fare cose turche)」という言い回しがある。
語源は、1453年のコンスタンティノープル陥落に遡るらしい。東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国は西欧世界にとって忌むべき脅威となり、“東方トルコの民侮りがたし”という教訓が生まれた。
晩冬のセリエAでも、トルコの若武者たちが来季のCL出場権争いを沸かせている。ローマのFWウンデルとミランMFチャルハノールだ。冬季休暇明けから、見違えるように躍動する彼ら2人は、上り調子でそれぞれのチームの攻撃を活性化させ、今やローマやミランの主力に成り上がった。
昨年からトルコ代表監督を務める名将ルチェスクが彼らへかける期待もすこぶる大きい。
「ウンデルはシーズン当初の重圧を乗り越えた。気迫と獰猛さが加わったチャルハノールはゴール前で頼もしい」
この冬、ローマとミランの結果を伝える試合翌日の新聞紙面では、冒頭の言い回しが何度も使われた。
してやったり。伝統国に挑む若い2人は大きな手応えをつかんでいるはずだ。
ウンデルは6戦6得点1アシストと絶好調。
現在、セリエAの3位争いはローマ勢とインテルによる三つ巴の状態が続いている。
27節で首位ナポリとの大一番に挑んだローマは、敵地でまさかの4ゴールを上げる大勝を収め、頭1つ抜けだした。
先制したのはナポリだったが、わずか1分後に仕掛けたカウンターでFWウンデルは冷静に同点弾を奪い、逆転勝利の口火を切った。
独特の間合いがある。ドリブルを一気にトップスピードにのせ、右サイドから相手ゴールを陥れる。
直近のナポリ戦まで公式戦6試合で6得点&1アシストの大当たり。あどけない童顔の弱冠20歳ながら、指揮官ディフランチェスコも攻撃の起爆剤としての働きぶりを大いに称えているのだ。
大外れのウチャンを思い出す低調さ。
昨夏、バシャクシェヒル(トルコ)から永遠の都へやってきたウンデルは、異国への順応に苦しんだ。
イタリア語がわからなくて、練習メニューが理解できない。猛者揃いのチームメイトたちに“1周遅れ”でついていくのがやっとだった。
日本でいえば高卒2年目の若手が、昨季の攻撃の中心だったFWサラー(現リバプール)の後釜として移籍金15億円以上を支払われて獲得されたのだ。プレッシャーを感じないはずがない。前半戦11試合に出たが得点の気配すらなかった。
ロマニスタたちは「どうやらウチャンと同類か」と嘆き始めた。
もうほとんどの読者の記憶から抜け落ちていると思うが、MFウチャン(現シオン)はトルコ代表として'14年夏にフェネルバフチェから鳴り物入りでローマに入団。しかし在籍2年で出場7試合0得点に終わり、ロマニスタには“近年稀に見る移籍市場の失敗例”扱いされている。
指揮官はウンデルの才能を信じ続けた。
だが、指揮官ディフランチェスコはウンデルのイタリア語習得を見守りながら、辛抱強くトップチームで使い続けた。
「『ユース選手を引き上げて使った方がいい』という外野の声もあるが、彼には才能があり、個別指導をする価値があると思った。口を酸っぱくして、仕掛けるタイミングやポジショニングを教えこんできたつもりだ」
チームの低調と中盤の故障者続出を受け、戦術を4-2-3-1へスイッチした23節ベローナ戦に先発したウンデルは、試合開始43秒で先制点を奪い、これが結果的に決勝ゴールとなり、ついに壁を破った。クラブ史上初のトルコ人選手によるゴールは、6試合勝ちに見放されていたチームへ再び火をつける一撃だった。
続くベネベント戦で2得点と大暴れした際、ウンデルは軍隊式の敬礼ポーズで物議を醸した。
エルドアン大統領からの激励が……。
今、母国トルコを取り巻く国際情勢はきな臭い。強権のエルドアン大統領は、シリア侵攻によって西欧社会からの批判を浴びている。
ウンデルの敬礼は、クルド人武装勢力との軍事衝突によって戦死した同胞のトルコ軍兵士たちを悼むもので、ウンデルはたちまち本国の愛国主義者たちのアイドルに奉られた。
ローマ移籍が決まった際、ウンデルはエルドアン大統領から直に激励の電話をもらって祖国への忠誠心をより強くしていたが、イタリアにあっては若い彼が現トルコ政権のプロパガンダに利用されているのでは、という疑念も生じた。
誤解と雑音を避けるため、25節ウディネーゼ戦以降、敬礼は封印した。だが、ウンデルは得点することは止めなかった。
「ここに来てから最初の数カ月は本当に苦しかった。ようやくイタリア語がわかるようになって、戦術的に求められていることが理解できるようになった。2月以降、自分が別人になった気分だよ」
難敵シャフタールに逆転負けを喫したが、CLデビュー戦でも先制ゴールを奪った。サイドアタッカーとして覚えなければならないことはまだ山程あるが、伏し目がちで奥手気味だったウンデルはもういない。
チャルハノールを復調させたガッドゥーゾ。
もう1人のトルコ人選手であるMFチャルハノールは、出自もキャリアもウンデルとはまったく異なる。
しかし、昨夏のミラン入団以降、4歳年下のウンデル同様にチャルハノールも前半戦の不調に苦しんだ。
前監督モンテッラの起用法が定まらず、筋肉系の故障に苦しみ、自分のプレーを見失った。チームは迷走し、一時は11位にまで順位を落とした。
再起のきっかけは、昨年12月に就任したガットゥーゾ新監督だった。希望していた4-3-3の3トップ左に置かれたチャルハノールは水を得た魚のように正確なサイドチェンジで相手を崩し、右のFWスソとクロスを打ち合いながら、チームのゴールを手繰り寄せた。
「まるで脚が4本あるようだ!」
今季王者ユベントスを破るなど例年にない好調ぶりで欧州カップ戦出場圏をキープし続けるサンプドリアを1-0で下した25節で、ミランはついに6位タイにまで浮上した。今年に入って負けなしの彼らは、一気に4位以上のCL出場圏まで視野に入れる。
サンプ戦でのチャルハノールは得点にこそ絡まなかったものの、クロスバー直撃のシュートを打ったかと思えば、フィニッシュ役のミスさえなければゴール確実という絶妙クロスを連発するなど大活躍。現地紙は「甘いタッチの5mのショートパスもゲームの趨勢を変える40mのロングパスもチャルハノールは自由自在」「まるで脚が4本あるようだ」と大絶賛した。
期待通りの働きを見せるようになったミランの新10番。新監督ガットゥーゾは「走れる脚を取り戻した」と武骨に褒める。試合後、己の手をバチバチ言わせながら手荒く祝福するのは、監督がチャルハノールを一人前の男だと認めているからだ。
ロシアW杯出場はならなかったが。
ドイツ西部マンハイムにトルコ移民の子として生まれたチャルハノールは、サッカー選手としては完全にドイツ流を仕込まれた。同じく移民の出自ながらドイツ代表を選んだMFエジル(アーセナル)と違い、チャルハノールは父祖の地のユニフォームを着ることを選んだ。
チャルハノールもウンデルも指導した前U-21トルコ代表監督アブドゥラー・エルカンは、伊紙インタビューで「2人のプレースタイルはまったく異なるが共存は100%可能だ」と彼らの未来を楽観している。
「チャルハノールにはプレーの素早い判断能力と広い視野があり、ウンデルには速さと決定力がある。特にウンデルはそう遠くないうちにビッグクラブへ行くはずだ」
トルコ代表は'02年日韓大会以来、W杯本大会出場が叶わない。ただし、ウンデルが24歳、チャルハノールが28歳で迎える4年後のカタール大会出場は、トルコにとって絶対に逃してはならないチャンスになるはずだ。
政界転身したハカン・シュクルが逮捕!?
セリエAでプレーしたトルコ人選手の源流は'50年代に遡る。
ガラタサライで長くエースを務め、トルコ代表歴代最多得点記録を持つ名FWハカン・シュクルは、2000~2002年にかけてインテルやパルマでもプレーした。
引退後、政界に転身した彼は反エルドアン派代議士として活動してきたが、'16年夏に起きたクーデター未遂事件関与の疑いで逮捕されるなど数奇な道を歩んでいる。トルコでは熱と闇が渾然一体となっている気がしてならない。
オリンピコ・スタジアムでの26節で、ミランはローマを相手に2-0で完勝を収めた。
セリエAで実現した“トルコ・ダービー”で、MFチャルハノールは気合の入ったプレーぶりで何度も完璧なクロスを放った。若いウンデルは不発に終わり、さすがに息切れしたかと思われたが、翌週にはナポリ相手に一撃を決めて心底驚かされた。
“トルコ人には用心せよ”。
数百年の時間が詰まった言い回しは本当だった。
ローマとラツィオ、インテルとミランにサンプドリアまで加わって大混戦になりそうなCL出場権争いを制するのは、オスマントルコの末裔たる若武者2人かもしれない。