設楽の日本新を生んだ非常識な調整法
日本のメダルラッシュに沸いた平昌五輪。次は2020年、東京五輪だ。早速いい予感がしてきた。不発続きの男子マラソンで日本新記録。いよいよ新世代のお出ましだ。
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2月25日に行われた東京マラソンは、16年ぶりの日本記録更新に沸いた。西新宿の都庁前から東京駅前までの42.195キロで争われたレースで、設楽悠太(26、ホンダ)が日本新となる2時間6分11秒をマーク。昨年の同大会でフルマラソンにデビューしたかつての箱根のスターは日本勢最高の2位に入り、2002年に高岡寿成(47、現カネボウ監督)が作った記録(2時間6分16秒)を5秒更新した。
16年のリオ五輪には1万メートルで出場し、昨年、ハーフマラソンの日本記録(1時間0分17秒)も樹立した設楽は、3度目のフルマラソンでハーフとフルの両種目で日本記録を同時に保持する選手となったわけだ。
設楽には主催者からの賞金のほか、日本実業団陸上競技連合からボーナス1億円が支給。その額からも、今回の記録更新がいかに待望されていたかが分かる。
実は昨年から東京マラソンは、それまでの東京の名所を回るコース設定から、高低差をなくした“高速コース”に変わった。ただ、好タイムが生まれた理由はそれだけではない。設楽に更新されるまで、長く日本記録を保持していた高岡は、こう話す。
「記録は気候やライバルの出現、レースのペースや体調など、様々な要因が一致した時に出るもの。今日の設楽くんは、(終盤までライバルの)井上くんが前を走っていたほか、(長い時間)先頭グループでレースができたことが良かったのでは」
レース当日は気温が6度、湿度40%というマラソン日和。昨年の同大会を2時間3分58秒で制したウィルソン・キプサング(35、ケニア)が途中棄権したことも影響し、先頭グループのペースが上がり過ぎることもなかった。全体5位で日本人2位に入った井上大仁(25、MHPS)の存在も設楽をあと押ししたことだろう。レース後、設楽は「10キロ付近から右ふくらはぎの痛みがあった」としたが、その痛みも序盤から突っ込み気味だった過去のレースを踏まえると、結果的には自重するいいきっかけになったといえるかもしれない。
もちろん日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦(61)も「常識では考えられない」と話す設楽独特の調整法が実ったともいえる。
その飄々とした性格は練習法にも表れ、通常のランナーはレース前に40キロ走などを取り入れ距離を踏むものだが、「僕は30キロ以上の距離走はやりません」と自らの考えを貫く。
2月4日に丸亀国際ハーフ(日本人1位)、11日に唐津10マイルロードレース(1位)を走るなどして連戦の中で調整。勝負勘を磨くため、レース数を意識的に増やしたという。
「こだわったのはタイムよりも勝負。レースに出たことで勝ち癖もついた」
今年の東京マラソンは設楽のほか、井上が2時間6分54秒で2時間7分を切るなど、なんと計9人もの日本人選手がサブ10(2時間10分切りの意)を達成してもいる。瀬古は上機嫌で言う。
「昔は宗(茂・猛)兄弟に私や中山竹通をはじめ、森下広一や谷口浩美がいた。ライバルがいたことで、切磋琢磨できた。(昨年12月の福岡国際マラソンで2時間7分19秒で走った)大迫くん(傑、26、ナイキ・オレゴンプロジェクト)も、今回の結果に負けじと、タイムを縮めてくるでしょう」
この日は過去最多のメダル獲得で日本の強さを示した平昌五輪の閉幕日。長く低迷していた日本男子マラソンが、20年東京五輪に向けて復活の狼煙をあげてあとに続こうとしている。(文中敬称略)
(スポーツライター・栗原正夫)
※AERA 2018年3月12日号