金メダリストの母語る、平昌の過酷さ
平昌五輪女子パシュートで、悲願の金メダルを獲得した菊地彩花(30)。生まれ育った長野県南佐久郡南相木村は人口1034人、65歳が428人という過疎地域だ。5人姉妹の次女で、姉妹全員がスケート競技の経験者で、母の菊地初恵さんも高校時代にスケートで国体に出場したというスケート一家だ。母の初恵さんは平昌現地まで応援に行き、娘が金メダルをとった時の思いを本誌に語った。
パシュートは4人(高木美帆、菜那姉妹、佐藤綾乃、菊地)のうち3人が競技に出場するので、初恵さんは娘がいつ出場するのかも、わからなかったと振り返る。
しかし、決勝、準決勝が行われた2月21日の当日朝、娘から「準決勝に出してもらえる。私が壁を作るんだ」と聴かされた。
「私は『うん、そうか。いずれにしても応援するよ』と声をかけました。娘にはプレッシャーをかけないようにあまりスケートについては突っ込まないようにしてました。私の顔を見て、リラックスしてもらいたかったのです」
準決勝の対戦相手は強豪カナダ。高木美帆、菜那姉妹と菊地選手の3人の編成で臨んだ。初恵さんは夫の毅彦さんらと観戦した。菊地選手はチームの中で身長約170センチと一番高い。
「当日は準決勝と決勝と、高木姉妹は2試合出る。一番大きい彩花が風を受けて壁となり、後ろの2人の足の負担を軽くすることが役割でした。責任感の強い子ですので、役目を果たせて本当に良かったと思います。負けたら終わりの状況の中で、私から見ても快心の滑りでした」
決勝は高木姉妹と佐藤綾乃選手が出場。オランダとの直接対決を制した。
「決勝戦を見ながら、彩花はずーっと祈っているみたいな感じでしたね」
金メダルが決まった瞬間、菊地選手は、コーチにねぎらわれ、涙をぬぐっていた。決勝の翌日、メダルセレモニーが開かれたが、その歓喜の記憶は今でも脳裏に焼き付いているという。
「セレモニーが終わり、私は夫と一般の立ち見席にいました。選手の控室から彩花が出てきて、真っ先に夫に金メダルをかけてくれた。で、次に私にかけてくれました。彩花が小さい頃から、私は忙しくて、いつも背中でおんぶしていて、子供を抱きしめたという記憶がないから、このとき初めて抱きしめたというか、ハグをして思いが込み上げました。私が彩花の耳元で『あーよかった』と言ったら、彩花は『ありがとう』と短く答えました」
菊池選手の妹2人もショートトラック選手で姉妹3人で平昌五輪に出場したため、現地に応援に行った初恵さんは大忙しだった。
五輪のリンクまでの遠い道のりに途方に暮れる日々も多かったという。
「電車の中でも英語表記が見つからず、どうすればいいのという感じでした。市民の方の乗る普通の循環バスに乗って、どこで降りればいいのか迷いました。スピードスケートの場合、競技が夜になって始まったので、終了し、会場を出るのが午後11時半頃になり、循環バスに乗って駅まで行っても、タクシー待ちに長い行列ができ1時間待ったこともありました」
バスに乗ってこんなトラブルにも遭遇した。
「一度などは、会場からの帰りのバスに乗ったら、ぜんぜん関係のない海岸の近くで『終点ですよ』と下ろされてしまいました。行きも帰りも手さぐりの状態で観戦していました。帰国する2~3日前になったら、バスの中に英語表記を見かけるようになりました。もっと早くそうしてもらったらありがたかった」
しかし、そんな苦労も菊池選手の金メダルで吹き飛んだ。菊地選手の父方の祖父も、スケートを愛し長野県の様々な選手を育てていた。3世代にわたる思いをかなえた瞬間だった。(本誌 上田耕司)
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