穏やかだった安馬、日馬改名後に豹変
© サンケイスポーツ 提供 会見を終えた日馬富士=福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)
無念を抱えながら土俵を去る。大相撲の横綱日馬富士(33)が29日、10月の秋巡業中に鳥取市内で開かれた宴席で平幕貴ノ岩(27)に暴行し、大けがを負わせた問題の責任を取って、現役を引退した。
日馬富士が貴ノ岩に暴行を加えた酒席は、モンゴル出身力士の先駆けとなった元小結旭鷲山のダバー・バトバヤル氏(44)が関取になったことを機に少人数で始め、20年以上続く「モンゴル人飲み会」だった。10年ほど前になるが、大相撲担当時代に、この飲み会に参加したことがあった。
東京・両国のモンゴル料理屋で開かれた飲み会には、当時は安馬のしこ名だった日馬富士や、元小結で悪性リンパ腫のため今年1月に37歳で死去した時天空慶晃氏らが出席していた。モンゴル人力士たちと郷土料理に舌鼓を打ちつつ、ウオッカをおちょこに入れて一気飲みすることを繰り返した。
安馬は当時、三役に定着しつつある期待の若手に過ぎなかった。宴席でお酒を強要することは決してなく、下戸の記者を「大丈夫?」と気遣い、一気飲みでなくちびちび口にすることを許してくれた。モンゴル語が飛び交うことがあったが、先輩後輩の関係を越えて、力士たちと和気あいあいと語り合う楽しい飲み会だったと記憶している。
それだけに今回の騒動には、驚きを隠せなかった。日馬富士の趣味は油絵で、16歳で来日するまでは美術の専門学校に在学し、個展を開いたほどの腕前を誇る。大関昇進後は富士山を描くようになり、大相撲界の頂点である横綱に上りつめた。
また、2014年春には法大大学院の政策創造研究科に合格。院生として地域経済、再生を研究課題にするなど、引退後のセカンドキャリアもしっかりと描いていた。
横綱としての実績は同郷で1歳下の白鵬に及ばないが、身長1メートル86、体重137キロと力士としては小柄な体格で9度の幕内優勝を飾った。好調時は低い立ち合いから一気に前に出るスピード相撲は、他の追随を許さなかった。
日馬富士が横綱昇進後、担当記者から「あまり話さず、ネタ探しに困っている」とぼやかれたことがあった。冗舌だった安馬時代を知っている者としては、そのギャップが信じられなかった。口数が少なくなったのは最高位のプレッシャーだったのか。しらふの状態で、自身を引退に追い込んだ心の闇を聞いてみたかった。(江坂勇始)
