怒られるまで居座る 高校野球の名黒子

ピンチになると駆けつける「伝令」。その声はテレビ、スタジアム越しでは聞き取れないが非常に奥深い世界なのだ。 © photograph by Takuya Sugiyama ピンチになると駆けつける「伝令」。その声はテレビ、スタジアム越しでは聞き取れないが非常に奥深い世界なのだ。

 高校野球の話をしていたら、「あの伝令って、あれはいったいなんなんだ?」ということになった。

 主に、ピンチの場面だろう。

 ダグアウトで監督さんからの“伝言”をしかと承った選手が、主に、マウンドへ駆けつける。監督さんがダグアウトで伝令さんにコソコソやり始めると、内野手4人と捕手は投手の立つマウンドに集まって、監督さんからの伝言を待ち受ける。

 たいていは、絶体絶命のピンチである。

 以前は、集まった6人が一様に神妙な顔つきでその伝言を受け取ったものだが、笑顔がブームの最近は、無理して作った笑顔が6つも並んで、かえってその方が事態の深刻さがこちらに伝わってきたりするものだ。

監督さんの“魔法の言葉”を伝えるために。

 いったい、何の指示をもらっているのか?

 私たちの頃は、何かあると監督さんが選手をダグアウトに呼んでアドバイスを与えられたので、私自身、選手の時も、ささやかな高校野球監督時代にも、伝令に来られたこともなく、派遣したことも記憶になく、実はあまりよくわからない。

 たとえば一、三塁で狙う併殺は、いわゆる“2-3”のホームゲッツーなのか、一塁走者と打者走者をアウトにする“後ろでの2つ”なのか……そういう守備陣形についての指示もあるだろう。しかし多くの場合は、当面のピンチを切り抜けるために監督さんから発せられた“魔法の言葉”を、伝令さんが選手たちに伝えに走っているのだと思われる。

 時に、選手たちの肩のこわばりを解き、時には選手たちの背すじにビシッとした芯を通す……そんな魔法の言葉をいくつ持っているのかで、監督さんの値打ちが決まったりするのだろうか。

「今夜の寮メシ、ハンバーグだってよ……」

 伝令という“専門職”の選手を抱えているチームもあると聞く。

 その場合、監督さんは特に知恵を授けることなく、「おい、ちょっと行って、何か言ってこい」、こんな感じで伝令さんを送り出す。彼は彼で、こういう時のための“とっておき”として用意してある、彼なりの魔法の言葉を胸に仲間たちが待つマウンドへはせ参じるのだ。

 昭和の頃なら「ここを切り抜けたら、帰りにマックおごってやる」とか、「今夜の寮メシ、ハンバーグだってよ……」など食べ物ネタが流行ったものだが、この頃の高校生たちの“リラックス・スイッチ”はどこらへんなのだろうか。

 たまたまその日は投げる予定のないエースピッチャーが、たまたま監督さんのすぐ横にいたことから、伝令を頼まれてマウンドへ猛ダッシュで駆けつけると、待っていた6人が全員、グラブで顔を隠して大笑いしている。

選手は“しょうもないひと言”を待っているのでは。

 なんだ!? と思って、目の前の遊撃手が指さしている自分の足元を見ると、右足にフットサポーターを付けたまま出かけてきていた。チェンジになったら代打でいけ! 監督さんからそう指示されて、早々に準備していた“それ”を、彼はすっかり忘れてマウンドへ出かけて行っていたのだ。

 そんなそそっかしいのが、まもなくドラフト上位で指名されて、プロに進む。

 自分が監督なら、どんなふうに伝令さんを使おうかな……? と考えてみた。守り方とか、攻め方とか、プレーに関することは、こちらからの身振り手振りで済むだろう。そこまでのピンチになってまで、コソコソしてもしょうがない。

 魔法の言葉なんて、そんな高級なものは持ち合わせがないし、今の選手たちは、監督からの言葉より、選手からの“しょうもないひと言”のほうを待っているのではないか。

リラックスさせたい場面なら“天然”なヤツを。

 ならば、「なんか言ってこい」で出そう。

 選手たちの背中をビッとさせたかったら真面目なヤツを、リラックスさせたい場面なら“天然”なヤツを。監督として、せめてキャスティングぐらいはやらせてもらって、あとは好きにさせてあげたい。

 なぜなら、私がマウンドに伝令さんを送るのは、試合の流れをしばし止めるため。それが理由だ。ほかの競技はわからないが、野球に関しては、試合の流れの大切さ、怖ろしさを痛く感じているからだ。

「審判に怒られるまで語ってこい!」

 今年の夏にも、あった。

 勝っているチームが理由のよくわからない投手の交代をした途端に、相手チームに流れが移った。これは、試合の流れの“黄金則”だ。

 強豪、格上といわれるチームがこうした地雷を踏んで、思わぬ敗退に追い込まれるケースを、これまで何度となく見てきた。

 強い流れが向こうに行ってしまっている時、つまりピンチの場面では、まず、いったんその流れを止めなければならない。流れを止めるとは時間を止めること、つまり、監督さんが「タイム!」と叫ぶことである。その時間を止める役割として、伝令さんにひと役かってもらおうと思う。

「審判に怒られるまで語ってこい!」

 おそらく私は、そんなひと言を添えて、彼をマウンドに送り出すだろう。

止まった時間を支配できるのが、伝令なのだ。

 止めておく時間が長ければ長いほど、試合の流れを取り戻せるからだ。優勢の相手チームからすれば、流れは来ている時は、攻撃をたたみ掛けたいところ。「いけいけ」というやつである。試合を止められるのがいちばん嫌なはず。それを、して差し上げるのである。

 その止まった時間を支配できるのが、伝令という名の“黒子”なのだろう。

 時間にして、どんなに長くても数十秒の出番。

 しかしそのわずかな時間に、彼が何を演ずるのか。

 ダグアウトとマウンドとの行き来の中で、果たして彼はどう生きるのか。

 伝令という脇役の果たすべき意味合いは意外と深く、むしろ緊迫の場面での「数十秒の主役」と表現したいほどの、リーダーシップとファイティング・スピリットに満ちた“道化師”なのかもしれない。

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