離脱者さえも戦力に 広島が示した力
© photograph by Nanae Suzuki シーズン半ばからは独走体勢に入り、他を圧する形で優勝を決めた広島。それはまさに、総合力としか言いようがない優勝だった。
9月18日、甲子園球場のマウンドに歓喜の真っ赤な輪が生まれた。そこへ球団スタッフに肩を借り、歩み寄る鈴木誠也を松山竜平は笑顔で迎えた。37年ぶりの広島連覇の強さを示すシーンだった。
今年も、広島の打線は強力だった。打線が束になってかかる集中打。足を絡めた攻撃は他球団を圧倒していた。ただ、ミスから失点を許す場面もあり、接戦に競り負けるもろさも見せた。
すべてが他球団よりも勝っていたわけではない。それでも頂点まで上りつめたのは、広島の選手層の厚さがある。ただ、層が厚いだけでなく、ほつれても補う「カバーする力」が広島の強さだった気がする。
開幕直後には大黒柱のクリス・ジョンソン、その後は抑えの中崎翔太、野村祐輔も腰の違和感で一時チームから離れ再調整を余儀なくされた。野手では昨年11月に胃がんを公表した赤松真人。シーズン終盤には鈴木誠也が右足首の負傷で離脱した。
松山「4番は誠也。僕は4番目」
優勝がかかったシーズン終盤、4番として広島打線をけん引していた鈴木の離脱は、チームに大きな動揺を与えかねなかった。さまざまなシチュエーションを想定し、変幻自在のオーダーを組んできた広島の頭脳・石井琢朗打撃コーチでも「これは想定していなかった」と頭を抱えていたほどだった。
だが「代役」の松山が流れを止めることなく、ラストスパートの立役者となった。9月に入り、相手投手に関係なく4番を託されるようになると。優勝が決まる18日まで打ちまくり、新たな打線の中核を担った。
打線に好循環を与える働きを続けても、松山は「4番」という言葉を使うのをこばんだ。常に「4番は誠也。僕は4番目」と言い続けた。
「今年は誠也が苦しみながらも引っ張ってくれた。今年のチームの4番は誠也。それに誠也がいて、4番なら4番と言えるかもしれない。でも誠也がいない中の4番は、代役でしかないでしょ」
今季開幕前には「(昨年まで4番の)新井さんから4番を奪いたい」と4番奪取を宣言していた男のプライドがにじむ。
離脱した鈴木は、リハビリ中にチームが勝てば喜び、負ければ自分が離脱したことを責めた。そしてそれ以上に危機感を募らせた。以前から「代わりがいるということはレギュラーではない」と口にしてきた。負傷離脱したことの悔しさだけでなく、「これだけ離れることになれば、当然怖い」と闘争本能は失っていない。
代走という難しい役目をまっとうした野間。
誰かが抜けても、誰かが補った。
たとえば代走の切り札として存在感を発揮した野間峻祥もそう。まだ3年目の24歳。レギュラーを目指す若手も、今年のチーム構成上、立場は代走と守備固め。昨季まで同ポジションの絶対的なジョーカーとなっていた赤松の「代役」の意味合いが強かった。
難しい役割を任され、失敗しながらも、徐々に爆発的なスピードでグラウンドを疾走した。9月8日阪神戦では同点の7回、2死一塁から代走で出場すると、2球目で二盗成功。河田雄祐外野守備走塁コーチが「スタート、中間走、スライディング、すべて良かった」と認める走塁から、安部の右前打で一気に本塁を陥れた。
途中出場ながら本来の力を最大限に発揮できるのは、昨季まで赤松とともに過ごした時間がある。「赤松さんの動きをずっと見てきた。試合展開を読みながら準備するイメージはある」。6回から体を動かし、出番に向けて逆算して準備を進める。ストレッチからアップし、全力疾走。そしてベンチで出番を待つ。もちろん、映像で投手の癖は確認している。
赤松は笑いながら後輩を絶賛する。
ワンプレーが試合の流れを大きく左右する試合終盤の一瞬に、すべての力を爆発させるための準備は、赤松から学んだ。
後輩の働きを、リハビリ中の赤松は笑いを交えながら絶賛する。「もう俺なんか余裕で超えているでしょ。話をしてもしっかり考えているし、ちゃんとしている」。脚力や状況判断、盗塁のスタートを切る勇気を含め、成長を素直に認める。
真面目に話す自分を少し照れくさそうに「もう(自分の)ポジションないよ。野間がレギュラーになってくれたら、空くんだけどね」と笑う。それでも最後は「失敗を恐れずに、失敗して欲しい」とさらなる成長に期待する。
鈴木も赤松も、紛れもない連覇の戦力だった。
誰かが抜けても、誰かが補った。たとえチームを離れても戦い、離れた者のためにも戦った。
先発陣も開幕直後にクリス・ジョンソンが抜けても、2年目の岡田明丈、中継ぎだった薮田和樹が台頭するなど穴を埋めた。中継ぎ陣もそう。開幕直後には抑えの中崎翔太が離脱するも今村猛が代役を務め、中田廉や一岡竜司もカバーした。
約1カ月の離脱がありながら、8月下旬から再び抑えとなり、2年連続胴上げ投手となった中崎は先輩投手の支えに感謝する。
「僕が勝手にケガをしていなくなった。それなのに戻ってきたらすぐにいいところで投げさせてもらった。それまでは(中田)廉さんや一岡さんが投げてくれていたのに、2人は何も言わず、僕の登板のときに背中を押してくれる声をかけてくれる。頑張らないといけないと、一層そう思った」
誰かが抜けても、誰かが補った。たとえチームを離れても戦い、離れた者のためにも戦った。仲間が戻ってきたら歓迎し、力に変えた。
9月18日、甲子園球場で緒方孝市監督が11度宙に舞う真っ赤な輪の中にいた、鈴木も赤松も、紛れもない連覇の戦力だった。