大けがで「終わった」中田監督の葛藤
【ぴいぷる】
176センチの長身から繰り出す芸術的なトス回し。見る者を魅了した希代のセッターは、勇ましく、時に猛々しささえ感じさせたが、素顔は意外なほど、しとやかだ。
「怖い印象? 全然そうではないんですけど…」
困ったように苦笑する。
2020年東京五輪を目指すバレーボール全日本女子の新監督。女性指揮官は1982年ニューデリーアジア競技大会を指揮した生沼スミエさん以来2人目だ。
「女性指導者のいい面は『お母さん』になれるところかな」
女ならではの繊細さと気配りを大切にしつつ、新体制初陣となる7~8月のワールドグランプリに向け、1日7~8時間の猛練習に励んでいる。
15歳で全日本入りし、84年ロサンゼルス、88年ソウル、92年バルセロナと3度五輪に出場した。
現役時代はエリート街道をひた走ってきたが、「いま考えると86年の大けが(右ひざ前十字じん帯断裂)で私の現役人生は終わっていたと思います」と衝撃的な発言をする。
「アスリートとしては完全に終わっていたのに、やめるにやめられなかった。その葛藤が自分を一番成長させてくれました。『人を生かすってどういうこと』と何度も自問自答しましたから。人ってかけられたはしごを外されたときに人間力が試される。あの経験は今の監督業に生きていますね」
転機はもう一つ。引退後の2006年。解説者、タレントとして仕事をしていた当時、長野県に移住していた父、博秋さんの死に直面した。
「このとき、『このままじゃダメだな』と迷っていた自分の背中を父に押してもらった気がしました。人生を賭けてきたバレーボールにより磨きをかけ、次世代につなげる生き方もありなのかな、と」
決断後の動きは早かった。イタリアで2年間、指導者の修業をし、帰国後は久光製薬監督としてタイトルを総なめにする。その過程で日本人の特性を再認識した。
「日本人って間違いなく『侍の血』が流れている。それはイタリア人にはないところ。遠慮がちで控えめ、思慮深く、潔い。そういう民族なんです。『身を挺してでも人を生かす』『チームワークを大事にする』といった日本人の武器で戦うことがすごく大事なんですよ」
■集中力が重要!
一方で外国人視点も重視するのが中田流。トルコ女子前代表監督のフェルハト・アクバシュ氏を招聘。2時間ぶっ続けでボールを床に落とさずつなげるという練習も取り入れた。
「英語で指示を聞きながら、周りを見てプレーを続けなければいけない。失敗すればノルマがどんどん増えていく。そうなったら自分との戦い。まさに集中力の勝負です。日本人はそれが一番得意だったのに、今は欠落している。その現実を突き付けられました。データに基づいて人を動かすのも大事だけど、自主的に相手と駆け引きしたり、技術を突き詰めていくことはもっと重要。外国の2メートル級の選手がその力をつけ始めている今だからこそ、日本人の武器に立ち返らないといけないんです」
16年リオ五輪5位の日本の前にはブラジル、米国、中国、セルビア、オランダという強豪国が立ちはだかる。が、負けず嫌いの彼女の目には金メダルしか見えない。
「データ的には5位以下かもしれないけど、実際に試合したらその通りになるのかは別問題。そのための集中力を今じっくり養っています」
3年間監督業に邁進し世界の頂点に立てたら、長野の実家で愛犬「ぼぉ~」とのんびりする…。それがささやかな夢だ。
「母親(光子さん)から『お前は本当に中田久美なのか』と言われるくらい、家の中ではオフ状態なんです。『ぼぉ~ちゃん』をおなかに抱いておいしい空気吸いながらボーっとする。そんな時間を過ごせたら最高ですね」(ペン・元川悦子 カメラ・酒巻俊介)
■なかだ・くみ バレーボール全日本女子監督。1965年9月3日、東京都生まれ。51歳。練馬東中から日立に進み、80年に全日本入り。3度の五輪出場を経て、95年に現役引退。2012年に就任した久光製薬監督時代は4年間でプレミアリーグ3度制覇。16年10月に全日本女子監督に就任。