豊と幸四郎、武兄弟の適度な距離感

武豊を鞍上に、武幸四郎調教師デビュー戦を白星で飾ったグアン。武兄弟の新たな関係の第一歩が始まった記念すべき日だ。 © photograph by NIKKAN SPORTS 武豊を鞍上に、武幸四郎調教師デビュー戦を白星で飾ったグアン。武兄弟の新たな関係の第一歩が始まった記念すべき日だ。

 1997年3月2日、前日騎手としてデビューした武幸四郎は阪神競馬場でマイラーズカップを勝ち、初勝利を重賞制覇で飾った。その3分後、兄の武豊が中山で弥生賞を優勝。週末のターフが「武兄弟フィーバー」で熱く盛り上がった――。

 あれから21年。

 2018年3月3日、土曜日。前年調教師免許を取得し、この春から栗東に厩舎を開業した武幸四郎調教師が、阪神第1レースで調教師としての初陣を迎えた。出走させる管理馬は、池江泰寿厩舎から転厩してきたグアン。鞍上は兄の武豊。

 土曜日の1レースとは思えないほど多くのファンで賑わうパドックに武豊が現れ、スーツ姿の武幸四郎調教師にお辞儀をした。ファンがドッと沸くなか、弟が、兄の脚を抱えて馬上へと送り出した。

「調教師の指示どおりに乗りました」

 開業初戦で兄弟が組むというだけでも十分ニュースになるのに、それだけでは終わらないのが武ファミリーらしいところだ。

 武豊が操るグアンは2番手から抜け出し2馬身半差で快勝。兄弟コンビで臨んだ開業初戦を鮮やかな勝利で飾ったのだ。

 スタンドから祝福の拍手が湧き起こった。

 レース後、兄は「調教師の指示どおりに乗りました」と周囲を笑わせた。

「調教師になるため、たくさん努力してきたのを見ていたので、今後も頑張ってほしい」

 騎手デビュー同様、華やかなスタートを切った弟は「ほっとしています。結果よりも、まずは無事に戻ってきてほしいという気持ちで見ていました。オーナー、池江調教師のご厚意によって武厩舎でデビューできた馬ですので、嬉しいというより、感謝の気持ちで一杯です。まだ先は長いので、調教師としての仕事にひとつひとつ取り組んでいきたいと思います」とコメントした。

調教にも騎乗せず、まずはスタイルを確立。

 同調教師はこの日の阪神8レースもフォレストタウン(クリストフ・ルメール騎乗)で制し、初日で2戦2勝とパーフェクトな成績をおさめた。

 翌日、3月4日は中山第4レースの障害競走に、管理するミヤジタイガを出走させていた。「御祝儀馬券」の意味合いもあったのか、前日勝った2頭につづき、この馬も1番人気に支持された(9着)。

 開業してから関東初見参とあって、レースの前後に多くの関係者に声をかけられ、忙しそうにしていた。

 昨年騎手を引退したばかりで、まだ39歳ということもあって、体型も、握手をしたときの手のやわらかさも騎手時代からまったく変わっていない。今も調教に騎乗しているのだろうか。

「いや、乗っていません。今厩舎にいるのは転厩してきた馬たちなので、その馬たちの個性や状態を把握するのに手一杯なんです。自分の管理馬だから乗りたいんですけど、一頭に乗っちゃうと、ほかの馬の稽古を見られなくなってしまいますから」

 月曜日や火曜日に、北海道の馬産地を見て回る時間もなかなかとれないという。

「まずは、調教を確立しなくてはならないと思っています。人によって考え方が違うと思うのですが、いろいろなことをやるのは、それからです」

 メインの弥生賞を待たず、慌ただしく中山競馬場をあとにした。

兄・豊とは10学年離れた弟・幸四郎。

 派手なスタートを切ったところは「武幸四郎らしさ」に見えるが、本当の彼らしさが出るのは、自身が見つけてきた2歳馬が入厩し、レースに出るようになってからだろう。

 1978年11月に生まれた武幸四郎調教師は、'69年3月生まれの兄・豊より10学年下になる。兄が騎手デビューした'87年、彼は小学校3年生だった。父・邦彦元調教師が厩舎を開業したのもその年だ。48歳だった。

 幸四郎調教師が競馬学校騎手課程に入学した'94年、デビュー8年目だった兄の豊はスキーパラダイスで仏ムーランドロンシャン賞を勝ち、日本人騎手初の海外GI制覇を達成。凱旋門賞初騎乗も果たした。リーディングの座を当然のように指定席にしていた。

互いに比較の対象ではなかった関係。

 そんな「武豊の弟」として、幸四郎調教師は騎手としてデビューする前から注目され、ずっと兄の背中を追いかけてきた。

 偉大な兄を持つプレッシャーはあっただろうが、筆者の知る限り、それを口に出したことはない。飄々とした性格だし、年齢が離れていたこともあって、互いに比較の対象とは見ていなかったようだ。

 ときは前後するが、幸四郎調教師が中学3年生だった'93年の12月、彼は、兄がナリタチカラで参戦する香港カップを観戦するため沙田競馬場にいた。

 関係者席の近くのテーブルに、当時フランスのトップジョッキーだったキャッシュ・アスムッセンがいた。幸四郎調教師が、同じ長身であることから目標とし「世界一上手い」と話していた騎手だ。

 私はアスムッセンを彼に紹介した。誰だかわからず握手をしていた彼に、私は耳元で「キャッシュだよ」と言った。すると彼は驚いて「えっ」と声を上げ、「おれ、手、洗えへん」と嬉しそうに言った。

 それを兄に伝えたら、「そういう気持ちでいるなら、ぼくがとやかく言わなくても大丈夫でしょう」と微笑んだ。

 騎手という同業者だし、贔屓にしてくれる馬主や厩舎などの人脈も重なるので、ライバルになり得る関係ではあった。しかし、あのころと変わらぬ適度な精神的距離感が、ふたりの間にずっとあったように見えた。

「武豊の弟」であることは同じでも。

 幸四郎調教師も、騎手としてJRA通算693勝、うちGIは6勝という、記録にも記憶にも残る一流ジョッキーだった。それでも、海外と地方を加えると100以上のGIを含む4000勝以上を挙げている兄の背は遠すぎた。

 抽象的な表現になるが、騎手を引退したことにより、兄の背を追う立ち位置から離れ、調教師として、兄の背を押す大きな力を持つようになった。兄は以前から、騎手引退後、調教師にはならないと話している。もう同業者になることはない。

 武幸四郎調教師が「武豊の弟」であることに変わりはない。それでも、縛りつけるものから解き放たれ、より自由になった響きが、「武豊の弟」という言葉に加わったように感じられる。

 早ければ、ダービーの翌週から始まる新馬戦で、彼が選んだ2歳馬がデビューする。「調教師・武幸四郎」がどんな若駒を送り出してくるか。楽しみに待ちたい。

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