無痛分娩死亡、娘の死の真相知りたい
新しい命の誕生からわずか10日後、母親は意識を取り戻すことなく亡くなった。大阪府和泉市の医院で臨んだ無痛分娩(ぶんべん)で今年1月、長村(ながむら)千恵さん(当時31歳)が死亡してから間もなく9カ月。事故は医師が刑事責任を問われる異例の事態になる。父親の安東雄志さん(68)=同府富田林市=が毎日新聞の取材に応じ、「本当に悔しい。なぜ娘が亡くなったのか真相を知りたい」と無念の思いを語った。
「体制が整っているから大丈夫」。出産予定日の今年1月10日朝、実家から「老木(おいき)レディスクリニック」に送る車中で、助手席の千恵さんが運転席の父に話しかけた。3年前の長女出産後に腰を痛め、今回は自宅のある同府枚方市から里帰りして出産することにし、友人の勧めもあって無痛分娩を選んだ。インターネットでも調べて医院を決めていたという。子供の頃からしっかり者で「千恵が言うなら大丈夫」と言い聞かせた。
夕方、自宅で吉報を待っていた安東さんの携帯が鳴った。千恵さんの夫からだった。「千恵が心肺停止になった。もうアウトや」。クリニックで意識不明になり、堺市内の病院に向かう救急車の中からだった。
急いで病院に駆け付けると、酸素マスクを着けた千恵さんの姿が目に入った。顔色は悪くなく、眠っているようだが、声をかけても反応がない。医師からは「元の状態に戻る可能性はほぼありません」と告げられた。「何でこんなことに……」。言葉にならないほどのショックを受けた。赤ちゃんは救急搬送前に緊急の帝王切開で無事に生まれていた。
出産数日後、ベッドに横になる千恵さんに、助産師が赤ちゃんを添い寝させた時だった。千恵さんの目から涙が流れ出た。「元気な姿で抱きたかったのだろう。母親としての無念の涙だったと思う」。安東さんは娘の胸中を思いやった。赤ちゃんは、「千」の字を名前に引き継いだ。
毎年、実家に子供や孫らが集まる正月。安東さんから服や靴をプレゼントするのが恒例行事だった。今年は千恵さんが臨月のため、出産後に服を買ってあげる約束をしていた。千恵さんはにこにこしながら「忘れたらあかんよ」と話していた。その約束は果たせず、千恵さんの自宅に、仏壇を買った。「まさか仏壇になってしまうなんて」。気丈に話す安東さんがおえつした。
クリニックの男性院長(59)には何度も説明を求めた。しかし、納得のいく回答は得られていない。ホームページでも事故には触れず「無痛分娩は当面中止しております」とあるだけだ。「容体急変後の措置は適切だったのか、体制は十分整っていたのか。娘の死を無駄にしないためにも、明らかにしてほしい」。捜査の進展に期待を込めた。【村田拓也】
長村千恵さんが出産した今年1月10日の経過(取材に基づく)
午前9時半ごろ 父親が千恵さんを老木レディスクリニックに送り届ける
午後3時20分 硬膜外麻酔を行う
3時28分 頭頂部に少し痛みを訴える
3時32分 ちょっと息がしにくいと呼吸苦を訴える
3時43分 意識レベルが低下
4時9分 帝王切開開始
4時11分 赤ちゃんが無事生まれる
4時50分 救急隊到着
5時 搬送開始。この頃夫から父親に電話
5時10分 堺市内の病院に到着
5時15分 気道確保のため気管挿管
(千恵さんは1月20日に低酸素脳症で死亡)
