馳浩、11年ぶりリング復帰に思うこと

56歳のジャイアントスイング。グレート・カブキ相手に20回も回してみせた馳。 © photograph by Essei Hara 56歳のジャイアントスイング。グレート・カブキ相手に20回も回してみせた馳。

「眠る時間を毎日1時間減らしてトレーニングしてきました。政治の時間は削っていません」

 元プロレスラーで、前文科大臣で、衆議院議員の馳浩は、7月26日の後楽園ホールのリングで、引退以来11年ぶりに戦って見せた。

 馳も56歳になった。

 だが、56歳という年齢には見えない体に仕上げて満員の後楽園ホールのファンの声援に応えた。

“達人たちのプロレス”として昨年から武藤敬司が始めた「プロレスリング・マスターズ」ゆえの決断でもあった。

 武藤から「大臣になったら戻って来るという約束を守ってくれ」というオファーを受けて、「復帰」を決意したのだ。

議員生活も、今年で23年目になる。

 馳の美学として、一夜だけとはいえリングに上がるからにはちゃんと戦える体を作る……というものがあった。

 近年は政治に専念していて、東京と地元・金沢を往復する日々。北陸新幹線の開通によって、移動は以前よりだいぶ楽になったが、それは政治家として自分に課した厳しい日課のようなものだ。議員生活も今年で23年目になる。

 ただでさえ時間のない環境の中で、2月から約半年、睡眠時間を1時間ずつ削って、体を鍛えた。削れる時間は睡眠しかなかったからだ。

「いい体をしているな」そう思える体に仕上がった。どんなに鍛えても、よく見れば年齢からくる衰えは隠せない。それでも、本業ではないプロレスのための体作りの努力は敬服に値する。

馳浩の原点、カナダ・カルガリーでの修行時代。

 私は、馳を若い時から、間近で見てきた。

 1980年代のカナダ・カルガリーでの修行時代は安達勝治さん(リングネーム“ミスター・ヒト”)の家に居候して、ちゃんこを食べて、トレーニング・ジムに通い、車で試合場へ移動する毎日だった。

「科学的なレスリング」というのが、当時、いつも馳の頭にあった。

 カルガリーの団体「スタンピード・レスリング」では、初めは“ベトコン・エキスプレス”という黒覆面の悪役というポジションだったが、そのレスリング・センスの良さがプロモーターのスチュ・ハートに認められて、めきめき頭角をあらわすこととなった。

 馳は同世代だったスチュの息子のオーエン・ハートに刺激を受けた。

 いや、互いに刺激し合ったと言った方が正しいだろう。

 海千山千とも言えるミスター・ヒトの古き良き時代のプロレスと、若きオーエンの新時代のプロレス・センスの双方を、馳はカルガリーで吸収したのだ。

延々と続く……2人の若きレスラーのスパーリング。

 ある朝、「いいところに案内しますよ」と言われて、馳の車に乗った。行き先は常設のスタンピード・レスリングの試合場だった。

 客などいない。

 薄暗くライトもついていなかったので、最初は中にいるのが、誰だかわからなかった。

 そこに、オーエンが待っていた。

 オーエンは着替えを終えると、リングのライトをつけて、馳とのスパーリングを始めた。

 このスパーリングは終わりがないように続いた。静かなアリーナに2人の息遣いだけが聞こえた。

 実戦を超えた技とテクニックの応酬。技が決まっても、決まっても、すぐに次の戦いが始まった。互いに納得がいくまでそのスパーリングは続いた。

 確かに、いいものを見た――と思った。そこにはプロレスリングの未来を感じさせてくれるものがあったからだ。

「ノーザンライト・スープレックス」の命名者は……。

 この時点で、馳のフィニッシュ・ホールドとなる「ノーザンライト・スープレックス」は、まだ生まれていなかった。

 馳が、受け身をとりにくい新しい投げ技を開発中ということを匂わせたので、名前が先行する形になってしまうこともお構い無しに、私はまだ見てもいないその技に勝手に「ノーザンライト・スープレックス」という名前を付けた。

「ノーザンライト」とはオーロラのことだ。オーロラに魅せられる人は多い。馳もオーロラの美しさに感動した1人だった。カナダの北の空に突然表れる幻想的な緑色のカーテン。それは形を変え、色も変えて、まるで魔法のようにうごめく、という。

 馳が真夜中の雪の中で見たその美しいノーザンライトの話をやたらとするので、「じゃあ、その技の名前は『ノーザンライト』で行こう」となった次第だ。

美しかった、56歳でのブリッジ。

 そして、2017年7月26日。

 馳は後楽園ホールの雰囲気を楽しむように、長州力と藤波辰爾とタッグを組んで、グレート・ムタ、グレート・カブキ、TNT組と戦った。

 カブキを十八番のジャイアント・スウィングで20回近く回して、喝采を浴びた。試合前は「10回以上回したい」と言っていたが、フラフラになっても必死に踏ん張った。

 2006年8月、45歳の時の引退試合では歳と同じ45回も回して見せた。最多では1996年に小川良成を60回も回している。

 ムタのシャイニング・ウィザードにもしっかり耐えて見せた。

 跳ねてすっと起き上がろうとしたときは、思ったようにうまく浮かずに、バランスを崩して自ら苦笑した。体は正直で思ったようにはいうことを聞いてくれない。

 それでも、ウェイトが増したTNTにきれいな裏投げを決めた。そしてフィニッシュはもちろん、あのノーザンライト・スープレックスだった。

 56歳のブリッジはきれいだった。

今度は、現役の大臣としてリング上に!

 馳が約束通りプロレスのリングに戻って来てくれたことはうれしい。

 馳はリングからファンに言った。

「夏の夜の夢には終わらせない」と。

 馳のプロレスは見たい。でも馳には本業の政治に専念してもらいたいし、本人も、その意思は固い。

 だけど、もし今度、馳がまた大臣になった時は、大臣のままプロレスのリングに帰ってきてほしい。前大臣や元大臣の肩書ではなく、今度は現職の大臣として。

 安達さんやオーエンも天国から、そんな「馳浩くん」を応援していることだろう。

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