震災から一度も走らず、南阿蘇鉄道

 熊本地震からの復興工事の重機音が山あいに響きわたる中、男性(42)が南阿蘇鉄道立野駅(熊本県南阿蘇村立野)で「寂しいですね」と一人つぶやいた。ホームに立つ男性がのぞくカメラレンズの向こうには雑草に覆われた線路が延びる。本震から1年7カ月、一度も列車の走らない線路はさびて赤茶けている。

 「JRで大分から熊本に向かう途中、立野駅で降り、トロッコ列車で高森駅まで往復したんです」。5、6年前、列車の旅で立ち寄ったという。男性は今回、広島から鹿児島まで車の一人旅。その帰り、阿蘇から大分へ抜ける途中、立野駅の看板を見つけると、ふらりと足が向いた。

雑草に覆われた線路を撮影する男性=熊本県南阿蘇村立野で2017年11月13日、野呂賢治撮影 © 毎日新聞 雑草に覆われた線路を撮影する男性=熊本県南阿蘇村立野で2017年11月13日、野呂賢治撮影

 男性のふるさとの宮城県亘理(わたり)町は2011年3月の東日本大震災で津波に襲われ、306人が犠牲になった。同町のJR常磐線は線路が流されるなどして、町内区間の運行が再開したのは5年9カ月後の昨年12月。今の立野駅の寂れた様子が故郷の風景と重なって見えた。

 「鉄道好きの自分が外から『復活してほしい』と言うのは簡単だけど、無責任な面もある。財政的な問題もあるだろうから鉄道会社と住民らの意見が大事です。東日本大震災の津波被害に遭った地域では鉄道が復旧せず、替わりにバスが走っている区間もあります」としながらも言葉を続けた。「それでも南阿蘇鉄道が復活するよう遠くから見守ってます」。そう言い残した男性は車をゆっくりと発進させた。

 鉄路の復旧は遠いが、自宅に戻る住民もいる。立野駅前の「ニコニコ饅頭」(南阿蘇村立野)の三代目、高瀬忠幸さん(80)と妻清子さん(77)は10月末、大津町のみなし仮設住宅から店舗横の自宅に戻った。県が南阿蘇村の立野、立野駅、新所の3地区の長期避難世帯の認定を解除したからだ。鉄道を目当てにした観光客はほとんど訪れないが、8月に阿蘇長陽大橋が開通して立野地区の交通量も増え、饅頭を買いに来るお客さんは増えつつあるという。四代目の三男大輔さん(45)は「少しずつだけどしっかりと良い方向に進んでいる。立野駅に列車が戻る時を待ちたいと思います」と笑顔で話してくれた。【野呂賢治】

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