高松塚古墳解体10年、壁画ほぼ修復

 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初頭)で、石室の壁に描かれた「飛鳥美人」などの壁画(国宝)をカビなどから守るために石室が解体され、壁画部分の取り出しが完了して10年がたった。修理と活用の文化庁の予算は累計で約34億円に上り、壁画は発見時の極彩色を取り戻しつつあるが、将来に向けてどう守っていくかという大きな課題が残っている。【矢追健介】

 「台所の流しに付いたぬめりのようなもの」。解体時から修理に携わる東京文化財研究所の早川典子・修復材料研究室長は、壁画に付いたカビなどの微生物の汚れをそう表現する。

修理の最終段階を迎えている高松塚古墳の西壁女子群像=奈良文化財研究所撮影 © 毎日新聞 修理の最終段階を迎えている高松塚古墳の西壁女子群像=奈良文化財研究所撮影

 壁画は1972年に発見され、墳丘内に保存施設を設けて国が管理していたが、施設の不具合などから大量の微生物が発生。墳丘に戻すことを前提に2007年4月、16個の石(切石(きりいし))からなる石室の解体が始まり、同年6月26日に壁画部分の取り出しを終えた。

 古墳そばに設けられた修理のための施設では、おおむね週の最初は壁画や切石の状態などを分析し、後半に修理作業をする。汚れの粘度を下げるため、主に、絵以外の部分には紫外線を当て、絵の部分には特殊な酵素を用いながら、1~2ミリのごく小さなスポンジで除去していく。

 壁画は面積にすると計約10平方メートルで、一通りの修理作業はほぼ終了した。解体前に比べ、黒っぽい汚れが除かれて全体的に白くなり、輪郭がはっきりし、色もよみがえりつつある。発見当初に比べ色あせて見えるのは、しっくいに入り込んだカビ菌糸の活性化を防止するため、施設内の湿度を55%と少し乾燥させているからだ。早川室長は「修理技術者の尽力のお陰でここまで良くなった」と声を弾ませる。

 一方、無視できない課題も残る。一部のしっくいは経年劣化で発見当初からスポンジ状になっており、未処置の部分は補強が必要だ。また壁画に適した環境にすることで、下地となっている凝灰岩製の切石は乾燥が進み、割れやすくなっている。このため、切石の大半に崩壊を防ぐ金属枠がはめられている。文化庁の建石徹・古墳壁画対策調査官は「現状のまま組み立てると、石材が割れ、壁画は壁から崩れ落ちる可能性が高い」と説明する。

 05年に石室解体を決めた際に「およそ10年」をめどに壁画を修理し、墳丘内に戻すとされた。しかし、石材の課題に加え、墳丘内で微生物の発生を抑えて壁画を永続的に保存する方法は確立できていない。文化庁の検討委員会は14年、「条件が整うまでの当分の間、壁画を戻さない」と決定したが、「当分」のめどすら明らかにできないのが現状だ。高松塚古墳の発掘調査や石室解体に携わった奈良文化財研究所の松村恵司所長は「今後のあり方について国民的議論が必要。現地保存の原則を覆し、元に戻すことを条件に解体したのだから、徹底的にその方法を探らないといけない」と指摘する。

白い顔の飛鳥美人 被葬者囲み宇宙観示す

高松塚古墳の国宝壁画は、横約1メートル、高さ約1.1メートル、奥行き約2.6メートルの石室の切石に塗られたしっくいの上に描かれていた。

 南壁を石室の入り口として、両脇の東西壁にはいずれも4人1組で南寄りに男子群像、北寄りに女子群像が配されていた。「飛鳥美人」として知られるのは西壁の女子群像で、極彩色のスカートをはき、白い顔も特徴だ。これらの人物群像は外出のお供をする人々の姿を描き、被葬者を慰める目的があったと考えられている。

 また、東壁中央に四神像「青龍」と太陽を示す「日像」、西壁中央は「白虎」と「月像」、最奥の北壁には「玄武」が描かれ、さらに天井に丸い金箔(きんぱく)と朱色の線で表現された星座が描かれていた。南壁にも「朱雀」があったが、鎌倉時代の盗掘時に穴が開けられて失われたとみられる。被葬者を囲むこうした表現は飛鳥時代の宇宙観を表すとされる。【矢追健介】

Category: ,